お知らせ NEWS
金沢学院大学の学生26人が「すず塩田村」の助っ人に!
例年の1.5倍の製塩量となりました
2024年1月1日に発生した能登半島地震の被害は、奥能登の塩田にも多大なる影響を与えました。国の重要無形民俗文化財である「揚げ浜式製塩の技術」を継承して手間をかけて作られた塩はミネラルが豊富で旨味があるのが特長で、500年の歴史を誇っています。
しかし、塩田のひび割れ、海岸隆起、道路の寸断、さらには、スタッフが遠方での避難生活を余儀なくされるなど、地震の影響により存続が困難な状況になっていました。道の駅「すず塩田村」を運営する株式会社 奥能登塩田村は、この存続の危機を打開すべく、金沢学院大学に相談。大学から学生たちに助っ人募集の声がかかりました。
7月から9月の夏休み期間を利用して、泊まり込みで手伝った学生は総勢26名。砂を集める作業や砂を塩田にならす作業などを手伝い、結果、今年の製塩量がなんと例年の1.5倍となりました。
今回、活動に参加した学生4人に話を伺いました。(写真左から小谷さん・小橋さん・佐々木さん・内山さん)
Interview01 小谷 日向汰さん
(経済学科3年/野球部/石川・鵬学園高校出身)
能登のためにできることがあるならと参加
野球部を通じて募集の声がかかり、すぐに参加の返事をしました。私は輪島の生まれで地震の当日も輪島にいたこともあり、「能登のために役に立てるなら!」という思いが大きかったです。私たちの行った作業は、職人さんが海水をまいた砂を集めて、専用の四角い木箱に入れていく作業と、塩分の濃い「かん水」を集めたあとに今度はまた砂を塩田に広げていく作業でした。
作業としては砂を集めて、撒いて、ならしての単純に見えるもの。しかし、単純なようで実際にやってみるとうまくいかず、難しいと感じました。特に水分を含んだ砂を均等にふわっと撒く作業は難しく、砂の塊ができてしまい、試行錯誤しました。ただ、私たちは野球部で長年トンボを使ってグラウンドをならす作業をしてきていましたので、砂をならす作業だけは本職並みにお役に立てたと思います。
若い力が役に立つことを実感
これまでこんなふうに誰かの役に立てる活動に参加したことがなく、本当にやってよかったなと思います。感謝されたことももちろんうれしかったのですが、私たち若い力が役に立っていると実感できたことが何よりでした。なんと今年は例年の1.5倍の塩を作ることができたそうなんです。最初は8月の2週間のみの参加予定だったのですが、塩田村の皆さんから「また来てくれ」「9月からが本番なんだ」という声をかけられ、役に立ちたいと9月の活動にも参加を決め、さらに2週間お手伝いさせていただきました。来年も絶対に行きます!また、今回の経験を踏まえ、金沢マラソンのボランティアなど、誰かの力になれる活動にも積極的に参加したいと考えています。
Interview02 小橋 一真さん
(スポーツ科学科3年/野球部/石川・日本航空高校石川出身)
地震後の高校の様子も思い出して
私は日本航空高校石川の卒業生で、地震直後の高校の様子を写真や映像などで見ていて、胸に来るものがありました。今回の話を聞いたときに私でも能登の役に立てるかもしれないと参加を即決。塩田村までの海岸沿いの道路は通れない箇所もあったため、バスは珠洲市街地から回るルートで現地に向かうことになり、地震後初めて母校の日本航空高校を見ることもできました。
珠洲ではまだ水道が復旧していないところも多いそうで、すず塩田村でも水は通っていませんでした。見ていても大変だと思うなかで、職人さんやスタッフの皆さんが至れり尽くせり、本当に優しくしてくださり、能登のためはもちろんですが、皆さんのために頑張りたいと作業にも力が入りました。
来年もぜひ参加したい
実は今回参加するまで、揚げ浜式製塩のことは知らなかったのですが、実際に塩を食べさせてもらうとすごくおいしくて! 作業は大変でしたが、この塩にすごく興味を持ち始め、職人さんにもいろいろと話を伺いました。天気がいい時は濃度の濃い塩になるなど日によって濃度が変わることをはじめ、一つ一つ丁寧に教えていただき、大変興味深く聞いていました。また、海水を撒く「潮撒き」という作業の体験もさせていただきました。私も含めて野球部のメンバーは初めてにしては結構うまく撒けたんですよ。
何度も言いますが、もう本当に職人さんたちがめちゃめちゃ優しくて…。自分も小谷くんと同じく、当初は8月の2週間のお手伝いで手を挙げたのですが、職人さんたちを手伝えるなら行きたいと思い、9月にも2週間行ってきました。来年もぜひ塩田村に行って役に立ちたいです!今年の経験を生かして、来年初めて活動する人たちにも今度は僕たちが教えていければとも思います。
Interview03 佐々木 洸昂さん
(文学科 歴史学・考古学専攻1年/富山県立雄峰高校出身)
地震の大きさと作業の重大さを感じた
実は参加を決めたのは少し不純な理由で、食事も出るなら一人暮らしにはありがたいと思ったことがきっかけで、あまり重くとらえていませんでした。しかし、現地まで向かうバスの中から見える能登の景色は、倒壊している建物だらけで、地震の被害の大きさを目の当たりにして衝撃を受け、今回の作業の重大さを自覚しながら向かうことになりました。
作業は若いからなのか私も含めて皆、休憩も取らない勢いで動いてしまいましたが、やっぱり暑さはすごくて。太陽が出てくると一瞬で日焼けしてしまうほどでした。ただ、我々のする作業がここで働く皆さんの生活に直結するのだと思うと、気を引き締めなければと思って動きました。また、塩田村ではいまだ水道が復旧しておらず、数日滞在する私たちでさえ若干の不便さを感じ、こうした状況下で私たちの働きが少しでも役立てたなら良かったと思います。
文化の継承という意味でも役立てた
塩づくりは日本では奈良時代から始まり、約1300年の歴史と伝統がありますが、揚げ浜式製塩は現在、能登でしかされていないと聞きました。授業で文化財の保存や民俗学を学んでいますが、塩づくりの継承にも通じるものがあると感じ、今回の参加は自分にとって文化の継承という面でも貴重な経験となりました。初めて塩を味見させていただいたときは、しょっぱさが控えめで旨味がすごくておいしくて。帰り際にお土産に塩をいただいたのですが、作業を経験した後にはまた違うありがたみを感じています。来年も参加できたらと思っています。
Interview04 内山 璃空さん
(文学科 歴史学・考古学専攻1年/新潟・直江津中等教育学校出身)
生活を支える作業と気合が入った
私も佐々木君と同じく、当初は一人暮らしにありがたいと思ったのと、運動不足も解消できるかなと思い、気軽な気持ちで参加しました。しかし、この作られた塩で生計を立てている人がいること、自分たちの作業が皆さんの暮らしを支えることにつながっているのだと意識してからは、気合が入りました。夢中で作業し、言われるまで休憩を忘れていることもよくありましたが、最終日には「めっちゃ疲れた」と達成感にも似た気持ちになりました。その甲斐あってか、今年の塩の量が例年より多いと聞いて、役立てたことがわかってうれしかったです。
また、今回、泊まり込みの作業だったのですが、先に来ていた野球部の先輩方が気さくに話しかけてくださり、作業のコツなども教えてくれて、現場はアットホームな雰囲気で、緊張せずに作業ができました。塩田村の皆さんにも優しくしていただき、ここの塩を使った「塩ラムネ」も飲ませていただきました。
塩の歴史的な価値を実感
塩は日本史でもよく登場しますが、歴史上、とても価値のあるものでした。私の出身地である糸魚川にも「塩の道」と呼ばれる街道がありますが、この道は逸話で上杉謙信が宿敵・武田信玄に塩を送ったことで「敵に塩を送る」という言葉ができたと言われている道でもあります。今回、震災で存続が危ぶまれた塩づくりに参加し、歴史で登場する塩の価値を実感することもでき、歴史学を専攻する学生としても貴重な体験になったと思います。来年も行きたいと思っています。