研修後のレポート

安土城

天正4年、織田信長が天下統一の拠点として、安土山に築いた城である。天主跡を目指し、大手道を通ずる石階段を所々にある石仏や踏石を見つけながら上っていく。しかし、この石階段というのが一段一段の石の形もまばらで、大きく高さもある。そして、なにより段数の多さには覚悟したほうが良い。所要時間は1周約45分から90分とされている。そこからも安土城の広大な土地の広さが窺える。上り進めてまず右手に見えるのは、伝前田利家邸跡である。さらに進み、左手には伝羽柴秀吉邸跡が見える。それぞれ、織田信長の家臣前田利家と羽柴秀吉が住んでいたといわれる。また右手には、摠見寺仮本堂(伝徳川家康邸跡)が見える。摠見寺は、織田信長によって安土城内に創建された本格的な寺院である。天正10年の天主崩落の際は焼け残ったが、安政元年に火災消失し、ここに移った。今は礎石のみが三重塔の北に残っている。山の中腹に見える三重塔を過ぎると、いよいよ安土城中枢部への入り口の一つ、黒金門跡に到達する。そこを抜けると本丸御殿跡がある。本丸跡中央部に置かれる解説文によると、碁盤目状に配置された119個の建物礎石が発見され、礎石の配列状況から、天皇の住まいである内裏清涼殿と酷似していることがわかったという。「信長公記」によると、「御幸の御間」と呼ばれる建物があり、皇居の間が設けられていたことが記されている。そして、天主跡に到達。まず目に入るのが、1、2メートルおきに並ぶ礎石である。この部分は天主の地階部分にあたり、その上にさらに大きな天主がそびえていた。しかし、よく見ると中央部分のみ礎石がない。説は挙げられているが、今もなおその理由ははっきりしていないという。天主台からは、壮大な琵琶湖や比叡山、田園風景が一望でき、その眺めも素晴らしいものだ。(3年・女子)

近江八幡

近江八幡市は豊臣秀次の築いた八幡山城の城下町として栄えた町です。八幡堀沿いの町並みと日牟禮八幡宮の境内は国の重要伝統的建造物群保存地区に、さらに「近江八幡の水郷」として重要文化的景観として登録されています。今回訪れたときは、ちょうど台風が接近しており、その影響で山頂にある八幡山城跡地へ行くためのロープウェイが運転を停止していたため、八幡山へはのぼることができませんでした。その代わりと言ってはなんですが、街中をゆっくり散策することができたので、とても満足することができました。ゆっくり街並みを眺めると、そこら中に古い家屋を見ることができ、長い歴史を感じました。なかでも印象に残ったのが、池田町洋風住宅街でした。どこにでもある普通の住宅街の中に、突然レンガ造りの家が現れたときはびっくりすると同時に、少し感慨深いものを感じました。私は建築にはあまり詳しくないのですが、大正から残り、今なお人が住むことができるのは純粋にすごいとしか言いようがありませんでした。ぜひ、今度は天気の良い日に近江八幡を訪れてみたいです。(3年・女子)

彦根城

8月26日金沢学院大学一行は滋賀県彦根市の彦根城に訪れた。牛蒡積と呼ばれる石垣の上に、三重の天守がそびえていた。京極高次が築いた大津城から移築したものといわれ、慶長12年(1607)頃に完成された。昭和27年(1952)に国宝に指定された。現存する国宝の天守は、彦根城以外には姫路・松本・犬山城だけである。外観の特徴としていくつもの破風を巧みに組合せ、美しい曲線を生み出している屋根は、他の天守閣にはない美しさが感じられた。天守閣に登ると、辺りを一望できる展望台のようになっていて、夏の清涼にあたりながら遠くの山々まで見る景色も素晴らしいものであった。天守を降りると大きな庭園が見えてくる。そこは「玄宮園」(玄宮園)と呼ばれ城の北東にある旧大名庭園で4代藩主の直興が延宝5年(1677)から7年にかけて造営しものである。庭園は回遊式庭園で、庭の全体を見渡せるような作りになっていて、今年は鮮やかな緑色の力強さを堪能できた。また秋や冬になると、桜吹雪や、紅葉、雪景色で彩られ四季折々の風情を体感することができるそうだ。(3年・男子)

関ヶ原古戦場

研修旅行の2日目、私たちは岐阜県のとあるところにいた。その場所はかつて、石田三成が布陣したという場所であった。そこは笹尾山といい標高200メートルと比較的小さな山であったが、頂上までの山道が長く、私たちは息を切らし汗を滲ませながら山頂を目指した。山頂に着くと、まず私の目に入ったのが高台であった。笹尾山から一望できる山々や関ヶ原の戦いの当時の布陣図をあらわしたものがあり、また、この他にも石田三成がここで布陣したという記念碑があり、また合戦の際に敵の侵入を防ぐため柵が施されていた。頂上までの道のりは案外大変だったが、辿り着いた先には素晴らしい景色が見られたので良かった。(3年・女子)

長浜

一泊二日の研修旅行。あいにくの豪雨から一夜が明けた二日目の8月26日、最後に訪れたのは近世城下町のルーツとも言われている北近江の地、長浜だ。今から約400年前、羽柴(豊臣)秀吉公が居城として初めて築いた城である長浜城は別名・今浜城とも呼ばれていた。“長浜”という名称には、天下泰平の世が長く続くようにという秀吉の願いがこめられているそうだ。現在、琵琶湖のほとりの城跡付近には市民によって復元された天守閣が存在し、のどかな滋賀の都の風景を一望できる絶好の展望台として親しまれている。夏の終わりとはいえども、まだまだ日差しが照りつける正午、長浜に到着。バスを降りた私たちは、全員で長浜市街地の北東部に位置する大通寺へと向かった。大通寺は真宗大谷派の別院であり、その建築様式は安土桃山時代のものを思わせる。円山応挙,狩野山楽らによって描かれた襖絵や伏見城の名残ある大広間など、まるで“歴史的美術館”とでも言えるような魅力あるお寺だ。大通寺を出て表参道をまっすぐ進むと、どこか懐かしさを感じさせる城下町の店が軒を連ねている。今回の研修旅行で、歴史において興味のある分野のみならず今まであまり考えたことのなかった分野にも、面白い!すごい!と思えるものを見つけられたことは自分にとっての財産である。様々な発見や感動があり学科の親睦もより一層深まるので、機会があれば是非また参加したい。(3年・女子)※一部省略